A勅旌碑


●勅旌の碑
 明治二年十二月、明治天皇は蒲生君平先生の著わした書物や志操が明治維新の大業に貢献したとして『君平の人となりや行いがまことに立派であるからこれを広く郷里に表わし庶民に知らせるように』と勅命を太政官にお下しになった。太政官からこの命を受けた宇都宮藩知事戸田志友は、さっそく奉行となって宇都宮の入口である南新町にその碑を建てた。
 これが現在花房町三丁目道路東側にある蒲生君平勅旌碑である。
碑の高さ一、三米正面に『勅旌忠節蒲生君平里』と刻まれ、右側に宇都宮藩知事戸田志友、左側に明治二年己巳冬十二月藩文学教授戸田誠謹書とある。
 また東京谷中の臨江寺門内にも正面に『勅旌忠節蒲生君平墓』と刻まれた同様の建碑があり、書は久我建久となっている。
 この後七年を経て明治九年六月五日、明治天皇が奥州御巡幸の途中で宇都宮南口の勅旌碑の前に聖駕をとどめられ、拝観の人々を遠ざけてややしばらく碑をご覧になられ、大義を明らかにした蒲生君平の気節を深く御思い遊ばされた。
 この碑は昭和三十六年九月十八日宇都宮市の文化財に指定され、数年前には市教育委員会が七百五十万円の予算を計上して碑の周辺石垣その他を改修し、蒲生先生の年譜や遺跡を巡る道順を記した掲示板二面を新設している。