D墓 所


●桂林寺の墓所
 蒲生先生は文化十年七月五日四十六歳をもって江戸で没した。遺骸は藤田幽谷はじめ友人知己の手によって東京谷中の竜興山臨江寺に手厚く葬られた。
 しかし明治十四年御贈位の恩典と共に有志によって改葬の運動が行なわれ、その頃宇都宮市内清住町一丁目桂林寺にある蒲生家墓所に遺髪が葬られた。宇都宮藩士県六石の日記に明治十四年九月十二日松井良吉、松本孫平蒲生氏改葬一件相談に来ると記されている。墓は最近遺族により移され墓所の正面松樹の下にあり、墓石の表面に父母の戒名廓翁諦然居士と覚応貞樹大姉が並び、左側面に『文山義章居士蒲生君平』と刻まれている。生前父母に孝養の厚かった先生が父母の墓に合葬されていることは意義深い。この左にある自然石二米の『贈正四位修静院殿文山義章大居士』の立派な碑は明治三十五年七月五日九世の子孫蒲生又右衛門が建てた慰霊碑である。碑面の字は元宇都宮藩家老藤田安義の謹書による。